あなたは自分の命の終え方について考えてみた事はあるでしょうか。私は医療人ですから、よくそういったテーマについて考えてみるのですよ。

 

もしも、病気で治療の施しようのない状態におちいってしまった時。自分ならどのような結末を迎えたいだろうか。そんな事について考えてみるのです。

 

例えば、まだまだ日本では議論の対象とすらなりにくい

 

「安楽死や尊厳死」

 

といった命の終え方について、私は選択肢として大いに検討されるべきだと考えているのです。

 

日本も諸外国のように、そろそろ真剣にこういったテーマについて考えてみる時代が到来していると思うのですが、あなたはどのようにお感じになるでしょうか。

 

おそらく多くの日本人の方は、安楽死や尊厳死と聞くと、なんとなく「積極的に死を選ぶようで後ろめたい」と考える方が多いのではないでしょうか。

 

しかし、あえて私は言っておきたいのです。

 

「生きる権利があるならば、命を終える権利があったって良いじゃないか」

 

と。日本人は道徳観念が強い民族なので、どうしてもこういった考え方というのはタブー視されやすいものです。

 

しかし、世界的にはこういった議論が積極的に行われている国も多数あります。スイスやベルギーやオランダなどが特に有名ですよね。

 

なのでわれわれ日本人も、こういった分野の議論に正面から取り組むべき時だと思うのです。

 

何よりこの問題は、自分自身が最後の時を迎えるに当たって、とても大きく関係してくることなのですからね。

スポンサードリンク

安楽死とは

そもそも安楽死とか尊厳死といった言葉の意味について、私たちはあまりよく理解できていないのが現状だと思います。

 

よって、まずはそこからしっかりと理解を深めてゆく必要があるでしょう。

 

「安楽死」

 

とは、病気によって耐えがたい苦痛を感じている患者に対して、「医師の積極的な医療行為(安楽死用の薬の投与)の下に命を終える」事を指します。

 

現在の日本では安楽死は認められていませんので、過去に何度か医師による安楽死事例があったのですが、残念ながらいずれも「有罪」判決が下っています。

 

上にあげたような国や一部の州などでは合法的に安楽死が認められているのですが、まだ日本ではここまでの医療行為は認められていないのが現状なのです。

 

しかし私個人の感情としては、なぜこの医師たちが有罪に問われなければならないのか理解に苦しみます。

 

現場で患者さんに最大限の治療を尽くし、何よりもその苦しみを見てきた医師が、患者や家族の同意のもと安らかな最後を迎えさせてあげるという崇高な医療行為。

 

いったいなぜこの事が罪とされてしまうのでしょうか。

 

それはひとえに、我々日本人がこのような安楽死の是非について、国を巻き込んだ議論を交わしてこなかったからなのですよ。

 

議論を重ね、そしてその議論の渦に国を巻き込むことが出来ていたのならば、もしかしたら判決はもっと違うものになっていたのではないかとも思うのです。

尊厳死とは

安楽死が、積極的に安らかな死へと導く医療行為であることに対して

 

「尊厳死」

 

とは、「患者さんに最後の時が訪れる瞬間まで無理な延命処置は施さず、苦痛を最大限緩和してあげながら安らかな死へと導く」医療行為を指します。

 

つまり、安楽死のように苦痛から直ちに解放される事ではなく、苦痛の緩和に重点を置きながら静かに最後の時を迎える事なのです。

 

ただこの尊厳死についても、明確に文書で意思を表示しておかなければ、現場の医師に迷惑がかかってしまいかねないのが現在の日本の状況なのです。

 

ゆえに「日本尊厳死協会」という組織が、尊厳死を望む方々に対する啓蒙活動を行われているので、関心がある方はぜひHPを尋ねてみると良いでしょう。

今こそ恐れずに議論を

私は「安楽死賛成派」です。と言っても、やみくもに当人が死にたいからそうしてあげたら良いなどとは思いません。私が思う安楽死の条件とは

 

まず、「現代医学をもっても不治の病である」ことが第1条件。

 

次に、「現代医学の技術を持っても軽減することが出来ない苦痛が存在する」ことが第2条件。

 

最後に、「当人の安楽死を望む意思が第三者を介して明確に提示されている」ことが第3条件。

 

以上の3点を満たしている患者さんならば、私は安楽死を提供してあげるべきだと考えます。もちろん、そこに立ち会う医師のメンタルケアも必須です。

 

現在日本では、「緩和ケア(ホスピス)」という専門医療科が普及してきています。

 

病を治すのではなく、病の苦痛を少しでも軽減しながら安らかな最後へと導いてくれる場所です。

 

私は何度か知人を緩和ケアにて看取ってもらいましたが、現場の医師や看護師は、とても温かく朗らかな方が多かった事が記憶に残っています。

 

がしかし、その笑顔の裏には底知れぬ苦悩や葛藤が存在するであろうことは容易に想像がつきます。

 

まだまだ多くの日本人は、死を招かれざる客のように考える方が多いのですが、死とは、卒業証書を受け取る晴れの儀式のようなものです。

 

その儀式の力添えをしてくれる医療スタッフの方々のご苦労や葛藤を、何とか軽減してあげたいと思うのです。

 

そうすることが、やがては私たち自身や私たちの大切な方々の最後にも大きな恩恵をもたらしてくれるのですから。

 

その為にも、やはり国民の多くを巻き込んだ議論が必要だと思います。どうかあなたにもその議論に参加していただきたい。私は、そう強く願っています。

 

以上。安楽死と尊厳死について話しました。

 

新年早々「死」についての話は不吉だと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、むしろ新年だからこそこのテーマにしました。

 

死は不吉なものとか忌み嫌うものといった概念を覆し、死は人生の卒業式だととらえ、死に方を選択するという権利について大いに議論が交わされるべきだと思うのです。

 

是非とも臆することなく、こういったテーマについて勇気を持って議論を交わしていこうではありませんか。

 

本年も、当ブログをどうぞよろしくお願い申し上げます。

まとめ

*安楽死とは、命を終える事が前提である医療行為。

*尊厳死とは、命を終える事を前提としない苦痛の軽減を主体にした医療行為。

*安楽死は現在の日本では認められていない。

*安楽死は、ベルギーやスイスやオランダでは国として合法化されている。

*現在の日本では、尊厳死ですら決して簡単には事が運ばない。

*自らの安らかな最後、大切な人の安らかな最後の為にも、今こそみんなで議論を交わそう。

*死は邪悪なものではない。人生の卒業証書授与式だと考えよう。

スポンサードリンク