戦国時代の名言にこのような言葉があります。

 

「義を守りての滅亡と義を捨てての栄華とは天地格別にて候」

 

この言葉は、歴史好きの方ならご存じの方も多いことだろうと思いますが、関東の名君「北条氏康公」の父親である「北条氏綱公」の言葉です。

 

正義や信念を捨てて栄えるぐらいならば、正義や信念を貫いてでも滅びる方が良いという、いかにも日本の侍らしいあっぱれな考え方です。

 

私は歴史がとても好きなのですが、特にこの言葉には、今まで事あるごとに大いに励まされてきたものです。

 

今回は、この言葉が私のように少しでもあなたの励みになればと思い、この記事を書いてゆこうと思います。

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あなたには貫きたい信念があるか

あなたは人生において、死ぬまで貫きたい自分なりの流儀や生き方をお持ちでしょうか。

 

私には、「男・父・治療家」としてのそれぞれに信念があります。

 

手前味噌ですが、今回はそれらを例にあげて考えてみたいと思います。

男としての信念

僕は男女の関係において、とても多くの信念を持っています。

 

そのすべてを書いているととても間に合わないので、今回は、その中でも特に大切にしているある1つの信念を紹介させていただきます。それは

 

「引き際の美学」

 

です。勝負師の方なら絶対に分かると思うのですが、勝負事というのはすべからく、引き際の見極めで全てが決まります。

 

だから引き際にどのような信念を持っているかで、その男の勝負運や能力というものが分かるのです。

 

そして、男女の関係というのもある意味では勝負事と言えますよね。

 

僕の場合、女性を口説く時に、自分の能力がその女性の要求するものに応えられないと判断した時。

 

あるいは、すでに関係を結んでいる女性に対しても同様で、その女性の求めに応じられる能力を有しなくなった時。

 

そういった時は、「潔く・さりげなく・跡を濁さず」にきっぱりと勝負から下りるのが信条です。

 

僕と居てもその女性の為にならないと判断した時は、いくら好きであろうと、女性が僕の事を忘れて次のステップに進めるように、さっぱりと跡形なく去ることを心がけます。

 

間違っても、女性にすがりついたり追いかけ回したりはしません。

 

有名なゴダイゴさんの「銀河鉄道999」という曲の中に、「別れも愛の一つだ」という歌詞が在りますが、本物の男になって初めてその意味が解るものです。

 

世の中には、ダラダラとしつこく女性に引っ付き回っては困らせている男がいますが、少しは恥を知ってほしいものです。

 

「女性が自分を必要としない時。あるいは、必要とされていてもその求めに応えられなくなる時」

 

そんな時は、その女性の為にも、潔く身を引くのが男の美学であると考えます。

 

前の記事でも書きましたが、女性は「心・体・お金が満たされる事を望む」生き物であり、それを無意識下で男に求める生き物です。

 

それは、生物として至極当たり前の事なのです。

 

そして、その要求に応えられるように努めることこそが、男の役目だと言っても過言ではないと僕は思うのです。

 

ゆえに、もし僕の存在がその女性にとって有益では無いと判断される場合、どんなに好きであっても、僕はその女性の為にきっぱりと身を引きます。

 

これが僕の、男としての1つの信念なのです。

父としての信念

僕の父としての信念はただ1つだけ。

 

「自分の子どものために死ねること」

 

これに尽きます。綺麗ごとは言いたくないのでハッキリ言いますが、僕は自分の子ども以外の為には死ねません。

 

だけど僕の子どもの為ならば、いつでもこの命を差し出せます。

 

父親は、子どもが己の力で人生を歩んでゆける力を獲得する日まで、ただひたすらに、その土台として働く存在であるべきです。

 

その為には、いかなる障害も乗り越え、いかなる危険からも守り、いかなる手段を用いてでも養い、あらゆる体験を積ませなければなりません。

 

それがもっとも大事なことであって、自分の老後のことなんかどうでも良いのです。自分の健康のことなどどうでも良いのです。

 

ただひたすらに、子どもの成長の為に己の命を張って歩み続けるのです。

 

もしも子どもに何らかの苦難が及んだ時、万が一にもその生命に危険が迫るような危急の時。もし神様が

 

「お前の2人の子どものうち、どちらかだけなら救ってやれるがどうする?」

 

と聞かれたなら、僕は絶対にこう言います。

 

「俺の命を捧げるから2人とも救ってくれ。もしそうしなかったら、きっと必ずお前をブッ飛ばす。」

 

罰当たりですかねえ(笑)。まあ、それぐらいの気合で父親業を努めておるのですよ。

治療家としての信念

僕の治療家としての信念を一言で現すならば

 

「患部を診るのではなく人間を診る」

 

という事に尽きるでしょう。単に治療する人と治療を受ける人というだけの関係には、サラサラなりたくありません。

 

もちろん治療家である以上は技術力を追い求めることが必要ですが、しかし世の中には、僕以上のゴッドハンドなど山ほど居ます。

 

だから僕は、他の治療家ができない事をやりたいのです。何せヒネクレ者のB型ですからねえ。

 

僕は技術以上に、患者さんとの対話やコミュニケーションをとても重視しています。その姿勢では日本中のどこの治療家にも負けません。

 

それはいっけん治療とは関係がないようですが、治療というのは相互の信頼関係がもっとも重要でもありますから、その為には非常に大切な行為でもあるのです。

 

そして、精神的な負の要素から体に変調を来たす例なども枚挙に暇がないのですよ。

 

ですから治療という観点から眺めてみても、対話やコミュニケーションというのはかなり重要になるのです。

 

まあそういった面倒くさいことが嫌いだという患者さんは僕の元を去って行きますが、別にいっこうに構いません。

 

僕の信念に共鳴してくれる患者さんだけが残ってくれれば良いのであって、それらの患者さんの為に、知識と技術と経験値とを提供するのが僕の治療家としての存在意義なのです。

 

以上。いろいろと偉そうに書いてきましたが、ざっと書いてもこのように僕には貫きたい信念があります。

 

で、仮に例えばこれらの信念を捨てて何か大きな成功が約束されるとしても、絶対にここはブレないですね。

 

例え、それを貫く事によって惨めでみすぼらしい人生が待っているとしても、それで上等です。

 

ただ最後に一言言っておきたいのですが、あくまで僕はそのように生きたいという事を主張しているのであって、他の生き方を否定するものでは決してありません。

 

仮に、信念を捨ててでも成功を選ぶという生き方を選んでいる人が居たとしても(そういう人けっこういますよね)、それはそれで大いに尊重します。

 

そういう生き方も1つの立派な生き方だと思います。ただ単に、僕には美しくなく思えるというだけの話です。

 

さて、今回の記事はなにかあなたの心に触れる部分があったでしょうか。

 

いつも好き勝手書いておる次第ですが、毎度ご愛読くださり本当にありがとうございます。

まとめ

*死んでも貫くべき信念を持ちたい

*引き際の美学。それが男としての信念。

*子どもの為なら死ねる。それが父としての信念。

*患部でなく人間を診る。それが治療家としての信念。

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