私は歴史が好きなのでいろいろな本を読むのですが、歴史好きではなくても一度は聞いたことがあるであろう

 

「三国志(さんごくし)」

 

という中国の物語があります。非常に有名な物語なので、絶対に一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

この三国志、ファンの方なら大いにお分かりになると思うのですが、非常に学ぶ要素の多い物語なんですよね。

 

もうですね、書きたい事が山ほどあって困るのですが、今回は私が好きな話でTOP5に入ってくるエピソードで、あなたにとってもきっと為になるであろう

 

「絶纓の会(ぜつえいのかい)」

 

というエピソードを紹介したいと思います。人に裏切られたとしても、1度ぐらい水に流してやっとけば、まあ後でなんか良い事あるかもよ。ってそんな話です。

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絶纓って何よ

昔むかし紀元前600年ごろ、中国の「楚(そ)」という国に「荘王(そうおう)」という国王がいました。

 

この荘王が、ある日庭園で酒宴を開いていた時のこと。そのもてなし役として、王が寵愛する女性もその場に呼ばれていたのです。

 

夜になって宴もたけなわの頃、にわかに風が強まり、灯していたロウソクの火が全部消えてしまいます。

 

当時は現代のように電気などはありませんでしたので、当然ロウソクが消えたら真っ暗状態になりますね。

 

その時、ある酩酊した家臣がその美しい姫に抱きつき、あろうことかその唇を不意に奪ってしまうという事件がおきます。

 

酔いも相当に回っていたのでしょうが、暗闇という状況にもつい魔が差してしまったのでしょう。

 

姫は突然の出来事に驚き怒りますが、機転を利かせてその家臣がかぶっていた「冠の纓(おいかけ)=ひもの事」を引きちぎり、荘王に泣きつきます。

 

「今しがた私に無礼を働いた者がおりますが、その者の冠の纓を引きちぎってやりましたので、灯りをつければ直ちに犯人が分かるでしょう。」

 

そのように訴えるのです。ところが荘王は、「酒がさせたことゆえ恨むな」と姫に告げ、次のように万座に言い渡します。

 

「皆の者、ただちに自らの纓を引きちぎるがよい。それまでは決して灯りを点してはならぬ。」

 

いくら無礼講の宴とはいえ、そのような振る舞いは武将として不名誉な事であり、現代では考えられない事ですが、当時は極刑でも文句を言えないような時代です。

 

しかし荘王の粋な計らいによって、その無礼を働いた者が誰であるかは誰にも知れ渡ることなく、無事に酒宴は終わりを告げるのでした。

 

後年。荘王が秦(しん)という国と戦った時の事。

 

楚国は秦国に追い詰められ、荘王も敵に包囲されながら、まさに命の危険がそこまで迫ったというその時。

 

獅子奮迅の働きで1人の武将が突入してきて、見事荘王を救出して血路を開いたのです。

 

荘王は、安全な場所まで避難してからよくその武将を見てみると、傷だらけで息も絶え絶えなその武将が、名前すら知らないような下級武将である事に気付きます。

 

「これまで大した恩を与えた記憶も無いのに、どうして自分の命もかえりみずに私を助けたのか。」

 

と、そのように荘王が武将に問いかけると

 

「されば、私は蒋雄(しょうゆう)と申す新参者です。私は先年の酒宴の折、酔いに任せて王の姫に無礼を働いてしまった事があります。」

 

「しかし王が黙って見逃して下さいましたおかげで、私は恥をかくこともなく、こうしてこれまで王にお仕えし続ける事ができたのです。」

 

「さればその高恩に心底痛み入り、いつの日にかその高恩に報いたいと思っていたところ、本日こうして、いかばかりかの力を発揮する事ができました。」

 

そのように告げるのです。

 

この逸話が、後年になって「絶纓の会」と名付けられるのです。「紐を引きちぎった=絶纓行為」に端を発したエピソードという意味ですね。

人は間違いをおかす生き物

どんな人にも「魔がさす」という経験が必ずありますね。なぜなら、人は間違いをおかす生き物だからです。

 

荘王はその事を解っていたのです。その事実を受け入れられるだけの度量を持っていたのです。

 

だからそのような出来事が目の前で起こっても、決して怒りに身をまかせるような事はしなかったのですね。

 

当時の慣習から言えば、そのような行為に対しては「無礼者」と手討ちにしてしまってもまったく問題はなかったのです。でも、荘王はそうはしませんでした。

 

そしてその広い心が、けっきょくは後になって「自分の命を拾う」という出来事として帰ってきたのです。

利益を期待する訳ではないけど許そう

私はこのエピソードを思い出すたびに、人に裏切られるような事があっても許せる人間でありたいと思い直します。

 

それに私だって、正直に言えばこれまでの人生で何度も魔が差した経験はあります。

 

もちろんいつも許してもらえたという訳ではありませんが、それでも多くの場面で、たくさんの方々から助けていただいたお陰で今日の自分があります。

 

ハッキリ言って、何か直接的な恩返しが出来たのかと言われると自信はありません。

 

がしかし、まがいなりにも治療家として男として父として、こうして小さいながらも社会貢献への道を歩んでいる事が、いつか何かの形で恩返しにつながるのではないかとも思うのです。

 

ですから、もし誰かに裏切られるような事があったとしても、グッとこらえて許せる人間であれたら良いなと空想しています。

 

まあ利益を期待する訳ではありませんが、許しておけば、後でなんか良い事があるかもしれませんしね(笑)。

 

個人的には裏切るとか裏切られるとかいう考え方はあまり好きではないのですが、何分こういったお悩みを抱えておられる方が非常に多いもので、今回はこういう記事にしてみました。

 

いかがでしょう。絶纓の会というエピソードについてご紹介しましたが、何かあなたの心に触れるものはあったでしょうか。

 

もし、人を許せなくて苦しんでいるという方がいるならば、このエピソードを少しだけ自分にも置き換えてみてください。

 

人は間違いをおかします。それは他人だけではなく自分もなのです。ちょっとだけ、そのように考えて深呼吸してみませんか。

 

もちろん程度にはよりますが、お互いがそうやって間違いに寄り添い合う事ができたならば、その先の人生がきっと大きく変わると思うのです。

 

私は最近このように思います。

 

「他人をいつまでも許せない人は、決して自分をも許すことが出来ない」

 

私の経験上、自分を許せない事ほど苦しくて悲しい事はありません。だから自分が楽になる為にも、歯を食いしばってでも人を許すように努力しましょう。

 

そうする事で、いつしか自分の事も許せるようになって心が楽になるはずですよ。

まとめ

*他人の裏切りを黙って許せる度量を持ちたい。

*なぜなら人は間違いをおかす生き物であり、それは他人だけでなく自分もだから。

*他人を許せる者だけが自分をも許すことができる。

*許しておけば後でなんか良い事あるかもよ。

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