甲子園が盛り上がっていますね。

 

今年も、球児たちの熱くて爽やかで感動的な夏が訪れましたので、普段テレビを見ない僕も、この時ばかりはテレビにかじりついて盛り上がっています。

 

さて、それと同時に「お盆」の時期も通過して行ったわけですが、いつも思うのが、ほんとに日本人って信心が深い人種ですよねえ。

 

いや、僕に言わせれば深すぎじゃないかとも思えるぐらいです。

 

皆さん一様に、「お盆はご先祖様が帰ってくるから」と忙しくされているのですが、だいたいお盆にご先祖様が帰ってくるなんて、いったい誰が決めたと言うのでしょうか。

 

誰が決めたとも分からんような形式に振り回されるのはいかがなものかと、つい本音が出ちゃいますねえ。

 

いや、ご先祖様に感謝することはとても大切な事だと思います。

 

ただ、改めて「お盆だお盆だ」と騒がなくても、別に普段からそういう気持ちで生きてたら良いわけじゃないですか。

 

何も行事の度に心身を酷使して疲労させなくても良いのになあ、と僕なんかはつい思ってしまいます。

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神仏は罰も利益も与えない

まあこういった話を話していると、たいていの方は「罰当たりな」みたいな顔をされるのですが、そんなに神仏の罰が怖いのでしょうか。

 

それに、逆に神仏を敬ったとて、何かご利益があるとでも本気で思っているのでしょうか。

 

僕にはいっこうに理解が出来ません。

 

「神仏は誰をも罰さない代わりに誰をも救いません」

 

自分を救えないのは他人のせいではなく、ましてや神仏のせいでもありません。ただ己の力量が足りないだけの話。

 

自分を救えるのは他人ではなく、ましてや神仏でもありません。ただ己の力量に頼るのみ。

 

それがこの世の姿です。少なくとも僕はそのように生きています。

 

得体のしれないものに心囚われて心身を疲弊させてる暇があったら、ひたすら現実を生きる事に必死であれと思います。

 

自分の人生は自分の力で生きてゆくべきであり、他人や、ましてや神仏などという得体のしれない存在に下駄を預けるなど、僕にはとうてい理解できません。

 

ただ誤解をしないで頂きたいのは、僕は神仏を信じていないのではありません。

 

神仏が存在することを証明できないし、また存在しないということも証明できないだけなのです。

 

だから、そんな答えの出るか出ないか分からんような事のためにエネルギーを浪費させるぐらいなら、ただ自分を信じて必死に生きていたいだけなのです。

最遊記は生きる上での名言が卓越している

このブログでも度々紹介している「最遊記(峰倉かずやさん原作)」ですが、このアニメは本当に名言が卓越していますよ。

 

あまりアニメには興味のない僕ですが、この最遊記だけは昔からダントツで好きですね。

 

「シティーハンター・ブラックジャック・こち亀・バガボンド」など、個人的におすすめしたいアニメはいくつかあるのですが、やはり名言となると最遊記が頭一つ抜けています。

 

という事で、以前に紹介した名言と重なる部分もあるかもしれませんが、またいくつか紹介してみたいと思います。

 

きっとあなたの胸を打つ言葉が見つかるはずですよ。

最遊記の名言

まずはこの言葉から。

 

お前が死んでも何も変わらん。だが、お前が生きて変わるものもある。

 

生きていれば、死んだ方がマシではないかという失意の時が必ず訪れるものです。そして、その思いに耐えきれず、残念ながら自ら命を絶ってしまう方もおられます。

 

ですが、死んだところで社会の多勢には何らの影響もありません。冷たいようですが、それが真実です。

 

僕が死んだら親しい人は悲しんでくれるでしょうが、社会にとってはゴマ粒一つの影響も及ぼしません。それが現実なのです。

 

だけど、もし歯を食いしばって生きていたなら、いつか誰かの役に立てる日があるかもしれません。

 

そして、その積み重ねがやがて社会に大きなうねりを起こすかもしれないのです。

 

だったら、死んでしまうより生きていた方が良くないですか。生きる事に賭けた方が分が良くないですか。

 

人生なんざ、元々死ぬまでの悪あがきだろ。

 

この言葉も上の名言に共通する部分があるのですが、そうなんですよ。人生なんて、所詮答えの見えない道を走るゲームなんです。

 

答えが無いのですから、何が正解かどうかなんて考えても分かりっこないですね。考えてる時間も無駄ですし。

 

だったら、ひたすらあがいて最後まで生き抜く。泥臭くても、なりふりかまわず必死に生きぬく。ただそれで良いんじゃないでしょうか。

 

あんまり難しく考えて疲れるぐらいなら、肩の力抜いてもうちょっと楽に生きても良いと思いますよ。

 

道が一つだなんて、誰が決めたんだ。

 

これは良い言葉ですね。

 

他人様と話していると、「人の生き方はこれしかない」っていうような頑なな人に出会う事があります。

 

特に宗教関係の人に多いのですが、そんな時、僕はこの名言を念頭に置きながら、山登りに例えてよく話すんです。

 

だいたい、誰もが山の頂上を目指して登っているんだから、別にどんなルートを選ぼうとその人の勝手じゃないですか。

 

それを横からあれはダメだとかこれが良いだとか、余計なお世話なんですよ。

 

いろんな登り方があって良いじゃないですか。誰もが自分と同じ、頂上を目指す挑戦者なのですから。

 

回り道をしようが、崖から滑り落ちようが、諦めないかぎりやがて誰もが頂上に到達するのです。それを尊重できる人間でありたい。

 

なんせ俺は、生まれて死ぬまで俺だけの味方だからな。

 

この言葉は最近の記事中でも紹介したと思うのですが、孤高に生きる者にとっては最高の名言ですよね。

 

この言葉は、他人などどうでも良いという短絡な意味ではありません。

 

むしろ他人を尊重すればこそ、そこに甘えたり寄りかかるのではなく、自分で自分の人生に責任を持つという決意の言葉です。

 

その為に、自分だけは自分の味方でいる。自分だけは自分を信じる。そんな強い意志の表れなのです。

 

誰かの為になんて死んでたまるか。残された誰かの痛みがわかるから、俺の為だけに生きて俺の為だけに死ぬ。それが俺の誇り。

 

いや、この言葉にはいつも姿勢を正されますね。

 

誰かのために生きて誰かの為に死ぬ。そんな生き方が清く美しい生き方だと我々は教わりましたが、でもそれって本当でしょうか。

 

例えば、溺れている人を助けて自分は亡くなってしまうというようなニュースをよく聞きますね。

 

その精神にはほんとに頭が下がりますし、とても僕には真似ができるものではありません。

 

ただそういう時にふと思うのですが、助けられた方はそれで幸せなのでしょうか。

 

自分のせいで1人の人生を消してしまったという事実。その十字架を背負って、一生生きて行かなければならないかもしれませんよね。

 

だったら、自分も生きてその人も助けられるような方法に賭ける方がまだ良いのではないかとも思うのです。

 

少なくとも僕は、他人の為には死ねません。綺麗ごとは言いたくありませんのではっきり言いますが。

 

唯一死ねるのは自分の子どもの為にだけです。まあ、そんな事言われても子どもにとっては迷惑なだけでしょうがねえ。

 

誰が敵か味方かなんてのは他人に教えられるもんじゃねぇ。ましてや他人が決めることでもねぇ。そんなのは自分で決めることだ。

 

いつも僕は、この言葉を「生き方」に置き換えて自分に言い聞かせます。

 

つまり、良い生き方とか悪い生き方とか、そんなもの他人様に決めてもらうことではないって事です。

 

自分の人生が良かったか悪かったか、それは僕自身が決めるのであって、誰かに決めてもらいたくありませんし、決めてもらうつもりもサラサラありません。

 

それが、自分の人生に責任を持つということです。

 

不変のものなんざつまらないだろ。退屈なだけさ。

 

大好きだなこの言葉。

 

変わりゆくのがこの世の定め。心も、肉体も、物も、世界も、愛も、友情も。どれ一つとして変わらないものはない。

 

だからこそ、それが分かっているからこそ、よりいっそう大切にしようと思えるわけです。

 

全ては変わりゆくという事が分かっている人。その事実を理解出来る人の事を大人というのです。

 

子どもで構わないという人は、一生不変のものに恋焦がれていれば良いんじゃないですか。

 

神は誰も救わん。最後に生き残るのは、生きる意志の強い奴だ。

 

この言葉は、正しく冒頭で僕が書いた内容を現してくれている言葉です。

 

人は奇跡を願って神に祈り、その結果に一喜一憂する生き物ですが、だいたいそれが間違っているんですよ。

 

この世で起きるすべての物事の結果は、ただ単純にその人の力量でしかありません。

 

上手くいったとて、それは神仏の力ではなく自分の力です。

 

上手く行かないのは、それは神仏のせいではなく自分の力量不足です。

 

それ以上でもそれ以下でもありません。

 

だから、神仏に祈っている暇があったら、具体的に今日を生き抜く手段をかんがえなければならないのです。

 

結局この世は、生きる意思が強い奴が生き抜けるようになっています。

 

神仏に期待して他力本願で生きるのも結構ですが、僕は得体のしれないものに賭けるぐらいなら、自分を信じて自分に賭けて生きて行きたいですね。

 

僕は自力本願な生き方を貫きたいと思います。まあ、このあたりは個々の勝手ではありますがね。

 

今回は、この辺で筆を置きましょう。

 

どうでしたか。僕の意見には賛否両論あるでしょうが、単純に名言としてとても考えさせられる言葉が多かったでしょう。

 

今回の記事が、あなたの心の励みになれば幸いに思います。ではまた。

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